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このページでは、日々の暮らしの中で「見て」、「聞いて」、「感じたこと」を綴っています。 |
〜景観の美しさは、環境の健康のバロメータ〜 ブライアン・ウイリアムズ氏の講演を聞いて
2009.05.22 金
先日、ブライアン・ウイリアムズ氏に中小企業家同友会の支部例会で講演していただきました。 そのときの報告書を わたしが担当しましたので、一部 転載します。
□ レポート □
「“びわこ”は周囲を囲む山々の稜線から・・・」(!?)で始まった“目からうろこ”的衝撃の講演は、私達に久々に、大きな驚きと新鮮な感動と たくさんの示唆を与えてくれた。
「雑種は見た目が悪いが 丈夫でタフだ」とジョーク交じりに謙遜されたが、きっとヨーロッパ系の両親の血統に加え、ペルーから米国、そして日本に移り住んだ ブライアンさんの多様な視点が、あたかも三点測量法のように、そこに暮らす当の日本人以上に正確に 日本の現状を捉えられたからなのだろう・・・。 また、16歳まで科学者を目指しながら 運命的に画家の道を選んだという異色の経歴も、その特異な素養を 支えているに違いない。
とにかく、画家としての細やかな観察力と 感性と、合わせて 科学者的な鋭い洞察力をもって、つぶさに琵琶湖と そこで生きる人びとの暮らしを見ながら、その作品によって 警鐘と熱いメッセージを 発信し続けているのである。
大きなスクリーンに映し出された それらの絵画は、山深く分け入ったブナの原生林から始まった“びわこ”が、その足元から湧き出る清水となって沢を作り、ここに暮らし始めてから営々と営まれて来た人々の歴史とも言うべき 棚田を迂回しながら 里の小川となり、内湖に注いで 私達の知る“琵琶湖”となるまでを、鳥の目 動物の目、人間の目と 多様な視点で見つめながら描かれていた。
それは、世界旅行の最初の地でありながら、その魅力的な美しさに思わず留まってしまったという37年前に目にした琵琶湖を望む風景と、その後時を経て 余りにも変わってしまった その姿へのギャップに、戸惑いと怒りと やがて芽生えてきた強い意志をもって語る、ここに生まれて住む 日本人の私達以上に熱く また真剣な、自然環境保全と持続可能な社会づくりについての提言であった。
わたしたちは、じつに今日の日まで、自分を育み 豊な恵みを与え続けてくれた、このふるさとの現状を、彼ほど真摯に 見つめたことも考えたことも無かったのではないかと、今改めて思い知らされた気がする。
稜線から始まる“びわこ”は、“グリーンダム”と言われる原生林から、沢になり 棚田を巡り 小川に注ぎ 内湖を通るうちに、豊かなミネラルを含み 微生物などの浄化力によって 活きいきと生命を宿し内湖にたどり着き、生物のゆりかごとして さらに生命を育み、琵琶湖に注いでいたのである。
しかし、彼の秘蔵の1893(明治26)年製の滋賀県の農政地図(?)によると、その“バイオフィルター”の機能を、私達はわざわざ100年をかけて 自ら進んで失ってきたのだと言うのである。そして今や、放置された山からは 山肌を洗う土砂が流れ、区画整備の進んだ田んぼからは 農薬や化学肥料が流れ込み、富栄養化した琵琶湖では 混濁水と赤潮を発生させているのである。
彼は、「景観の美しさは、環境の健康のバロメータだ」と言う。 なるほど、美しさの源泉は健康なのだ。
もうこの壊れかけた(?)“びわこ”の叫び声が見えない、聞こえないでは許されない。 (それに気がつかない私たちも ひょっとしたら狂いかけているのかもしれない・・・。)
画家の眼差しのように 時間をかけてとは言わないまでも、恵みを受けながらそこに住み、これからも暮らし続けていく私達は、もう一度この機会に“びわこ”の“健康”を見つめなおし、そのすべてを映し出す“琵琶湖”の“美しさ”を守っていかなければならない。
かつて、寒椿に始まり蝋梅、菜の花、桜、つつじに藤の花・・・ 日本の自然は、春だけでもこんなに豊かで描き切れず、気がつけば37年も居付いてしまったと言う この画家が、今度は荒れ果てた風景が心配で 帰るに帰れないというのではなく、私達の今日からの行動によって再生した美しい風景の魅力で、さらに30年50年と 足止めをさせたいものである。
私たち企業経営者として、この講演から学ぶべきことがらは 非常に多かった。
彼のように、現状を観察する真摯な目と 僅かな変化を見つける感性と、その根拠を探る知恵と 解決へのユニークな発想力と、勇気をもって改善していく行動力を持たなければならない。
そのためには、何よりも『健全なこころざし(理念)』こそが 大きな原動力となるのであろう。
*この場を借りて 改めてブライアンさんにお礼を申し上げます。*
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